年男とDJやるぞ宣言

皆様、SNSでの多くの誕生日メッセージありがとうございました。12月12日で年男の48歳になりました。
僕と音楽との関係性を絡めつつこれまでの年男順に振り返ってみようかと思います。僕は48年前の雪の日に横須賀病院で産まれました。父母と赤ん坊の僕が住んでいた家が崖の上にあり段々と家ごと崖から落ちそうになっていったので、藤沢市の片瀬海岸1丁目のスバナ通りに僕が産まれる前に亡くなった京都の祖父が夏場だけ開く射的屋の家を残しておいてくれてたのでそこに引っ越し、それから亡き父の片瀬オートも創業し始めてました。



僕の周りにはたくさんのバイクやエンジンに囲まれていて、音楽といえば母がかける井上陽水さんの音楽や周囲の色んなものに耳を付けて音を確認したりしてました。(例えば新幹線の小田原駅の金属の手すりに耳を付けて叩くとスターウォーズのレーザーの音がします)初めての年男になる頃までは音楽を作る、作れるなんて夢にも思ってなかったので、Stranger ThingsやSynthwaveなどのジャンルは僕にとっては懐かしいというよりも新鮮です。



最初の年男の12歳頃吹奏楽部(県大会で銀賞、翌年には金賞)でトロンボーンを吹きながら、部室にあったクラッシックギターと出会いギターを弾く楽しさを知り、色んなバンドを組みました。音楽の楽しさ素晴らしさを知り今日までギターを弾いております。



次の年男の24歳にはバラバラギャルというバンドでオリジナル曲を作ったり、東京のライブハウスで頻繁にライブを行い様々なバンドと対バンしてました。特に同じオムニバスアルバムに収録されてる 54-71との対バンは忘れがたいです。



またこの頃、ギター以外で人生を変えたKORGのシンセサイザーのMS-20やMacで音楽を作れる事を知り、Cubase,Opcode Visionや Logic Audio 4.8.xなどを独学で学び実践し始めたり、その数年後にKORG KOTROL 49のオマケで付いてきたAbleton Live liteの直感性や使いやすさ、安定性に感動しAbleton Live SuiteにアップグレードしてメインのDAWとして使い始めAbleton Liveによって人生が変わりました。






次の年男の36歳の頃はすっかりヘビーユーザーになったAbletonの認定トレーナー、認定校やユーザーグループが海外にはあるのに日本には全くない事に気が付き、その流れを変えたいと勇気を出して神奈川県民ですがAbleton User Group Tokyoを創立して、渋谷Wombで5週連続のAbletonユーザーの為のイベントを行いました。(大変でしたが充実してました) その後もAbleton User Group Tokyoとして色んなイベントを行ったり、揉め事も色々とあったんですが、もはや何に揉めていたのか?を10年以上も経つと忘れてしまいました。。w

今では日本の各地にAbleton User Groupがあり、認定トレーナーやSleepfreaksさんみたいに認定校が出来て、僕が創立当時思ってたAbleton Liveが普及している先進国でのあるべき姿になって嬉しく思います。

また尊敬するWatusiさんのソロプロジェクトの楽曲「Tokyo Techno Drive」のリミックスコンテストで優勝して人生で色んな事があったけど、音楽を諦めずに続けてきて良かった、しかも尊敬する大先輩のWatusiさんのリミックスコンテストで優勝させて頂くなんてなんて嬉しい事なんだと嬉し泣きした覚えがあります。

参考リンク: ダンス・ミュージックのベテラン、Watusi(COLDFEET)が渋谷から送る初ソロ作! 独占リミックス付きでハイレゾ配信!
https://ototoy.jp/feature/2014102901


そして今年の48歳の年男です。良い事がありますように。

今年はAbletonやLogic Proで曲を作りながら、Ellen Allien、Charlotte de Witte、Amelie Lensなどのカッコいい女性DJのプレイをYouTubeで休憩中にみていたら、過去にDJをやりたいと思ってDJ-2000とターンテーブル1台を買ったり、東京や大阪でレコード屋さん巡りをしていた事を思い出して、それでもまだDJをしていない事に気が付きました。機材買った当時は理解がない友人には「中山くんは機械を使って音楽作るなんてズルをしている」とかw、「モテたい為にDJやろうとしている」とかMPC2000やCubaseを使ってた当時、我が家に出入りしてた友人達にそんな事を言われて「純粋に興味あるだけなのに」と思って悲しく思ってた事を思い出しました。



今ではバンドを一緒にしてた友人達も結婚して子供もいて音楽をやめてたりするんですが、僕はそういう足枷がないせいか、このままテクノのDJやらないときっと人生後悔すると思い、今年は制作のかたわらでテクノDJになるにはどうしたら良いんだろう?と検索したり学んだりしつつ、Watusiさんに相談しに行って色んな為になる話を聞かせて頂いたり、「せめてテクノの歴史を知らないと先人達に失礼だ」とお叱りを受けて、その場ではホアン・アトキンスデリック・メイなどの名前がパッと思い出せなかったんですが、以下の様なテクノの歴史を読んだら、「あっ、知ってる知ってる。踊る事に夢中でちゃんと調べてなかったな。」と帰宅してから思いましたw。

[ テクノの歴史リンク1 ]【Technoとは】テクノ・ミュージックの起源と誕生の歴史【徹底解説】

[ テクノの歴史リンク2 ]TECHNO特集① テクノの歴史を築いたレジェンド10選

というわけで今後は音楽制作と共にDJをやるぞ!宣言をします。

まずは最近ハマってるCharlotte de WitteやCarl CoxおじさんなどみんなPioneer CDJ-3000を4台とミキサーのDJM-V10-LF、DJエフェクトが基本の様なのでシステムはそれを目標にしたいと思ってます。 (総額で大型バイクが買える値段((((;゚Д゚))))))))

CDJ-3000


DJM-V10-LF







それらのDJシステムを買う軍資金を貯めつつ、BeatportなどでDiggったり色んなシステムに対応できる様にTracktor,Serato,Recordboxの使い方やトリック、グルーブボックスやモジュラーシンセとの同期などを学んで行こうと考えてます。(書き出してみて考えてみたら果てしないですねw)

というわけで年男頑張って色々と鍛え続けます。

2024.12.15