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2015の音楽を中心としたな私的まとめ

12月12日の今日でこの音楽バカも30代最後の歳になってしまい毎年まとめ的に誕生日の記念として書いてましたが若干タイトルが恥ずかしくなってきましたので今年からタイトルを変えましたw

39年前に横須賀の衣笠の病院で生まれました。
全く記憶はないですが1歳ぐらいで山の崖の上にあった家がビー玉が転がるぐらい崖に落ちかけた為に、母方の祖父がスバナ通りに夏だけ開業する射的屋の家と土地を残してくれた家で育ちました。
同じ横須賀で誕生日が12月13日でギタリストのX JapanのHIDEとは何かを感じますw

 母の面倒は最後まで見るつもりですが父が土地も建物も理由もわからず勝手に売り払ってしまったので、もう帰る場所も無く自分の老後を考えるとウォーキングデッドなどのゾンビ映画などを観るよりも遥かに暗い気分になるので余り長生きもしたくなく日々精一杯出来る事をしてポックリできればいいやと思ってます。

ご存知の様に僕のこのサイトではブログ記事や動画、MaxForLiveのとっかかりになるPDFを無料配布しています。

我が家は貧しく芸術に対する理解もなく僕が学生の頃はReaktorをやっとバイトしてやっと買えましたが、Maxはとても高価でした。

しかし最近はAbletonとCycling74のおかげでMaxもその頃より安価になりましたが、Ableton Live 9 Suiteに入っているのに使い方も全くわからない人がいたりして圧倒的にユーザー数が多いのと、学びたくても経済的に学べない方を知って、そういう思いからMaxForLiveのデバイス付きのPDFを無料配布しています。

公開しているのは本当にまだ一部でまだまだ伝えたい事などが色々とあります。

 

良かった事と嬉しかった事、感動した事

①大学の時に今の僕があるバイブル的な本「コンピュータサウンドの世界 (CQ BOOKS) 」書籍を出版し今も精力的に活動されている尊敬する長嶋先生とメールで交流し励まし合いました。

②とても貧しく家族で楽器を演奏してなくて小さい頃は楽器も知らず、音楽といえば母の井上陽水やおよげたいやきくんなどのレコードぐらいでした。
遊びも保育園からの親友で今の僕と似た様な境遇でも役者として精力的に活動している服部ひろとしと遊びを考えて毎日遊んでました。

その頃に竜口寺の山や江ノ島の雑木林の木や手すり、世の中の色んなものを叩いて耳を付けて音を確かめるのも楽しみの一つでした。

京都の母方の笑顔が大好きなおばあちゃんや従兄弟に会いに行く新幹線の小田原の駅の金属の手摺りを叩いて聞くとStar Warsのレーザーの音がする事を発見して嬉しくて京都に行く度に叩いてました。
パーソナルコンピューターもファミコンもインターネットも当時はありませんでしたが、最近The Sounds of Star Warsという音が出る本やインターネットのおかげでStar Warsのレーザーの音をBen Burtt氏が金属のワイヤーを叩いて作っている事を知り、感慨深く何とも言えない喜びがありました。

「これでいいのだ!」と思いました。

 

 

2015年10月21日はバック・トゥ・ザ・フューチャー2のマーティが1985年からタイムスリップしてきた年で僕はあの映画の影響で高校の時は「2015年はきっと車やバイクが空を飛ぶはずだ。軌道エレベーターが完成していて宇宙空間にライブハウスがあってそこでもライブやりたいし空を飛ぶバイクに乗りたい。」と考えて進路相談を真剣に話しているのに女体育教師の担任にふざけていると思われアドバイスが貰えませんでした。その映画の登場人物のどんな時代でもなんでもDIYするエメット・ブラウン博士(通称ドク)と中学校の大好きな理科のお爺さん先生が人生で最も影響された先生で久しぶりに会いたくなって会いに行ったらとてもお元気そうでとても嬉しかったです。

 

頑張った事など

①今年も相変わらずAbleton Liveによる曲作りとWatsushiさんのリミックスコンテストに優勝した後にさらなる修行の為にリミックスコンテストに挑戦し続けた事。

② 今年も相変わらず未知なる音を作りたい音欲を原動力として数え切れないほどの沢山の事を学び続けたり、オリジナルのMaxForLiveデバイスを作ったり、沢山の実験をしました。

僕はメロディや音色作り、手法などをトライ&エラーで考えて自分なりのものを考えるのは感情や魂が注入されたりっぱな発明だと思いますし、それは最高にロックだと思います。

詳しくない方の為に例をあげるとSKRILLEXという米国のエレクトロミュージシャンが世界的に有名で彼が使うWobble BassまたはGrowl Bassという特徴的な音は相当なトライ&エラーや時には偶発的に見つけたんだと僕は思います。(※Wobble=ぐらぐらする、揺れる)

 それにはシンセサイザーの音作りに関する知識やギターリストやキーボディストなどのバンド経験も僕は重要なファクターだと僕は思います。また僕はお笑い芸人では無いのですが高校の時から体を張ったギャグを体育の授業や朝礼で僕は全く活躍しなかったのに表彰状を「中山行け!かましたれ!」というので七里ヶ浜高校の全学年の前で体を張ったネタをしたりもしてましたが、ギャグはその瞬間こそが最も面白く「あとでさっきのやって」と言われても同じ事はやるべきじゃ無いと考えていて今でもそう思いますが、音楽においても感情や魂が注入された音色、メロディ、手法は自分だけにしか出せない音があったとしてもある程度使ったら、その手法を破壊し再び新しい音を求める旅に出るべきだと思います。

江戸時代には池波正太郎の剣客商売の秋山親子の様に剣の道を極める為に旅をしていた浪人の様に、ギター、シンセサイザー、Abletonを僕にとっての音楽の刀として使い新しくて気持ち良いまだ誰も聴いた事の無い音を求め修行し続けるという意味合いを込めて「エレクト浪人(electrounin)」として名前を決めました。

 

 

 

③様々な理由からDubspotのOnlineコースを寝る間を惜しんで秋頃から学びTraktorだけでなくプラットホームのシステムや教える側の楽しく教える工夫などを学び刺激を受け続けている事(進行中)

 

 

考えさせられた事

Yahoo!知恵袋で芸大で将来に悩むこういうQ&Aを教えていただき色々と考えさせられました。

僕の場合は祖父母も父も芸術や音楽に対する理解がない古いタイプの性格で「大学に行ってエンジニアになって家に金を入れろ!大卒の肩書があれば必ず良い事がある!音楽なんかやめろ!」と好きな事をやっているバイク屋の父に毎日言われて、進学先に「芸」「音」の字が入ろうものなら猛反対されて、教育の質も学生の遊びに来ている感覚が酷く就職も全く斡旋してくれなかった制御工学部は今は消滅しおそらく電子楽器メーカーに入るという目標を立てなかったら卒業できなかったです。

親友の湯川くん達と始めたバラバラギャルというバンドも忙しくなり始めて中退してバンドを本格的に進もうとした機会も
「それをやるならこの家から出てけ!」と脅されその機会も潰されましたので、芸大に行かせてくれるだけで恵まれているのに同じ芸術家の先輩方を「痛い」というのもインターネットで先輩方がこんな貴重な話を知る事が出来るのも凄いなと思いました。

近年、ホーキング博士が危惧するぐらい人工知能の発展が物凄い勢いで、レイ・カーツワイル氏が言う技術的特異点(Technological Singularity)はもし来ると仮定したら以外と早くやってくる気がしていますが、それでも人工知能ではなく人間にしか出来ない事は音楽や芸術など創造する事は人間に与えられた特権であり機械には僕は譲りたくありません。

仕組み的には興味はありますがそれすら機械に奪われたら世界は相当つまらなくなると思います。

 

 

 

 

・嫌だった事

人生良い事ばかりではなく今年も嫌なことがあり、毎年書かない様にしてましたが、本当に迷惑しています。

本当はみっともないと自分自身でもおもいますし、書きたくないというか後で脅されるかもしれませんので消すかもしれません。

相当勇気を出して立ち上げAbletonUserGroupTokyoのFacebookのページやTwitterで日本国内のユーザーに有益な情報を色んな作業の合間に発信してきました。
AbletonUserGroupTokyoを立ち上げて公認トレーナーが国内にまだいない1年目にワークショップで初めて知り合った方を仲間として信じ一緒に規約を作り、ライブの出演は色々してきましたがオーガナイズの経験もなくどうやってオーガナイズするのかや次に誰が出るかや日程などは仲間内で情報共有するべきなんじゃないかと思ってましたが全て知らないうちに決まり、散々引っ掻き回されたあげく夏のスペシャルの為にライブの準備もしてたりしたのにイベント前に簡単に言うと「オーガナイズは大体わかったでしょ?俺ら二人は抜けてお前抜きでいつもの場所でやるけど頑張れや」みたいな筋違いな事をしてきて、僕がこれまでコツコツとやってきたのを踏みつけられた嫌な目に合いました。

大好きな音楽で、ミュージシャンとしてこれまでの人生で色々とありましたがこんな扱いをされたのは初めてです。

高1からの親友の湯川くんが心配して電話をくれて、あの頃より色んな引き出しが増えたので、またバラバラギャルを無理せずにゆっくりと再開しようと話し合いました。小中高の友人は皆んないい奴らで僕はとてもラッキーだと思いましたし友人たちが困ったら俺も助けたいと改めて思いました。

でも音楽をやっていて怒りや悲しみだけでなくそんな方がいる事をとても残念に思いました。

だから例えばPushのTouch StripをPitch BendやMod Wheelとして使うテッキーな技やPushをLogicなどでも使える技などプログラマだったので今後書きたいですが、その方にだけはそういった技やアイデアをパクられたくも知られたくもありません。(我ながら器が小さいとも思いますがw)

嫌な事は早く忘れる為に精神衛生上よろしく無いので、見かけそうな雑誌やインターネットのサイトを全て見ない様にし、クラブイベントで会いたく無いので会いそうなイベントも誘われても行きたいけど行かない様にしていますが、夏はひたすらギターを弾きまくったり、鎌倉の寺にKORG Gadgetやelectribe2でサウンドスケッチと座禅したり、ひたすらバイクで走り続けてだいぶ忘れられそうなのに、この「Push2とLive 9.5の発表イベント」の所の紛らわしい名前でわかるようにほとんどの人が間違えてメールやSNSで問い合わせが来てとても忙しい中でとても迷惑しています。

筋も通らなく妨害と言ってもいい行為で、考えすぎかも知れませんが僕がまめにコツコツと行って来た事や様々な思いから相当勇気を出してAbletonUserGroupTokyoや僕自身を潰したいのかとさえ思うほどです。

以前は問い合わせが来て対応してましたが、問い合わせが来て初めて知って、「我々とは関係無いので何とも答えようがありません」と返信すると「全然知らなかった!」という様な反応を全ての人があります。

以前もプロフィールに運営者と名乗ったり、他の国は都市名+Ableton User Groupで行っているのにこういう名前で名前を付けてこちらに問い合わせが来る事すら想像出来なかったのでしょうかね?

でも皆さん僕が夏以降からずっと堪えてきたこの気持ち伝わりましたか?

みっともないので早く忘れて今後は国内外の僕に近い考えの方々と近々会議をします。

この国の次の世代の音楽という分野で活躍する方々の為に懸命にやっていくつもりです。

これからも生きるのが不器用ながらも日々この日本の為に精進していくつもりですので今後とも宜しくお願いします。

 

 

 

 

38年目の僕というソフトウェア

今日は僕の誕生日です!

76年の雪の日の朝に生まれました。

これは60年代後半のハッピーバースデーの歌が今では英語でよく歌われてますが日本語で歌われている場面です。

さて毎年恒例の誕生日記念に今年嬉しかった事や来年にやるべきTodo、物欲などを述べようと思います。

今年辛かった事

①父の他界

辛かったというかもう数年前から脳の腫瘍と戦っていた父の中山正行(片瀬オート創業者)が他界するのを覚悟はしておりましたが62歳という若さで、新潟の雪道でワンボックスが雪道にハマりスタンドに行く途中で「大動脈解離」によって雪道で倒れて亡く立っていたのは、覚悟していたといえ、辛くないといえば嘘になります。

葬式は僕と妹、義理の弟と3人だけで行い祖母はまだ生きているのですが、来ませんでしたので僕は父方の祖父には二度と会いたくありません。

妹は雪道で倒れていた時に父が涙を流しながら亡くなっていた事に泣いていました。

本当に沢山の警察官が御焼香に来ていただきました。

父はバイク道に走り続け創業時から死ぬ直前まで整備士としてバイクに命を懸けて、インターネットのない時代にパーツを輸入したり、パーツを制作したり、常に父なりの革新を続けました。

国内の二輪車に対する二輪車メーカーがモーターサイクルのイメージ改善を全く行わなかったですが、父は出来る限り努力(バイクの安全な乗り方を定期的に自動車学校で講習したり、白バイや警察の方々とも協力)し続けた事を誇りに思います。

小さい時から僕はもちろん小学校の親友にも片瀬海岸の砂浜でバイクの安全な乗り方や転んだ時の痛さ、整備のイロハや高校の時にモノマガジンで見つけたCB125JXを長野の今は亡きKさんという解体屋で山の中に保存してある旧車を仕入れて交流が始まり、レストアの方法を僕に教えてくれて、整備の面では湘南でハーレーやトライアンフをまともに修理できる腕を持つ父でしたが、結果的にレストアに関しては僕は彼よりを超えて父もそれを認めてくれました。(お客さんが僕がレストアした愛車のCB125の仕上がりを見て旧車のCB400を乗って欲しいと頼まれた事もありました)

死は何年も前から覚悟はしていましたが、結婚する姿も孫も見せることが出来ないので、せめてスピード狂の聖地のボンネビルソルトフラッツ、マン島に連れてってやれなかったのが悲しいというより悔しいです。

父からはバイクや車以外の事も沢山の事を教わりました。沢山の時間を共に過ごし沢山喧嘩したり沢山笑いました。酔うと人生の名言を吐きたがる性格で沢山の名言のような事を毎日の様に聞かされ多すぎて覚えていませんが、とても正義感が強く何が悪で何が真の正義かという事を教わりました。

天国で父が喜ぶ様な人間になったら父を大昔からよく知る親友とボンネビル、マン島に遺灰を撒きに行こうと考えています。

②左腕骨折

ご存知の方もいるかもかもしれませんが、雪道で左肩を骨折して未だにリハビリ通いです。。

折った直後はギターリストとしての生命線である左腕が不自由でとても落ち込んでいたのですが、母にも助けてもらい母親のありがたさ、いつでも母は亡き親父と同じく僕の味方であるという事を改めて認識しました。(その代わり折ったばかりの時のお気に入りの長袖を全てハサミで切られてしまいい。現在着る服がないので半袖+カーディガンでしのいでおります。。w)

雪を甘くみてはいけないと思うと同時に、次に自爆するときはなるべく足を骨折するようにしますw

今年に嬉しかった事&参加したこと

① : 昨年の夏にWatsusiさんにAbleton Liveを個人レッスンさせて頂き、仲良くさせて頂いておりますが、そのWatsusiさんの私塾のリミックスコンテストで優勝した事が今年は僕のエレクト浪人(electrounin)としての活動一番嬉しいです。

②:昨年の初めに僕が日本国の音楽教育の向上や継承、知識の共有、交流や音楽の文化及び関連する産業を他国に負けない誇れるレベルにするという大義を持って設立したAbletonUserGroupTokyoは昨年も様々な方に協力して頂きありがたくとても嬉しかったですが、今年に入り運営メンバーにKOYASさん、DJ.AtさんMirroboyさんが加わって頂きとてもとても心強く心から感謝しております。勇気を出して設立して本当に良かったです。さらに4月から5月にかけて日本初のAbleton公認トレーナーの試験が行われた事もとても嬉しかったです。僕は今回は残念ながら駄目でしたが、Abletonは僕の人生が変わったソフトウェアで少しでも多くの人に伝えたいのでまた試験が行われたら挑戦するつもりです!

③:今年も国内外の素晴らしい方々と出会えた事!

④:左腕を骨折した事でギターを弾けるありがたさ、五体満足のありがたさを改めて実感した事!

今年の反省点と来年のToDoなど

 

① AbletonUserGroupTokyoをもっと盛り上げユーザー同士の出会いや学び合う機会を提供したい。

②Max4Liveのチュートリアルが多忙の為に更新できていないので更新するのとAbletonのチュートリアル動画を沢山作る。

③もっと曲をたくさん作ったり、RemixCompに参加してさらなる修行をし自分なりの手法をもっと見つけたり、兵器級の声を持っていると従兄弟のお嫁さんに褒められたので歌いたいと思います。

④もっとアルバムやEPを出す!

⑤DubspotのAbletonやTraktorのオンライン講座を受講する!

⑥音楽の事でもそれ以外の事でもっと沢山の事を学び、教えられる事はオンライン、オフライン問わず多くの世代の人々に教える。

⑦営業力を付ける!(ご存知の通りのGeek野郎で人見知りなので自分を売り込む営業力というものがなく自分の営業力の無さに涙が涙がちょ途切れておりますw)

⑧多くの子供達や僕に夢を与えてくれた日本の特撮や僕の大好きな時代劇に貢献したい!

僕がもし中学で吹奏楽部に入ってギターや音楽の楽しさを知らなかったら間違いなく特撮業界に入ってました。詳しくは「日本特撮に関する調査報告」をご一読頂きたいのですが、日本人にしか作れない素晴らしいコンテンツ及び関連する技術が危機に瀕しています。僕はその事をとても悲しく思っています。

黒澤明は羅生門の受賞祝賀会でこの様な言葉を言っていたようです。

「日本映画を一番軽蔑してたのは日本人だった。その日本映画を外国に出してくれたのは外国人だった。これは反省する必要はないか。浮世絵だって外国へ出るまではほとんど市井の絵にすぎなかったよね。我々は、自分にしろ自分のものにしろ、すべて卑下して考えすぎるところがあるんじゃないかな? 『羅生門』も僕はそう立派な作品だとは思っていません。だけど、「あれは まぐれ当たりだ」なんて言われると、どうしてすぐそう卑屈な考え方をしなきゃならないんだって気がするね。どうして、日本人は自分たちのことや作ったものに自信を持つことをやめてしまったんだろう。なぜ、自分たちの映画を擁護しようとしないのかな? 何を心配してるのかなって、思うんだよ。」 – Wikpedia 羅生門 (1950年の映画)

この言葉を聞いてあなたはどう思いますか?

勿論これからどんどん英語は大事になってきますし能動的に海外のニュースやコンテンツを知ることはとても大事で日夜僕も英語圏のニュースや論文を読んだりコンテンツを楽しんだりしています。

でも「特撮=子供やオタクの為のもの」「時代劇や時代小説=お年寄りがみるもの」という偏った固定観念や無知から興味を持とうとしない人々が多い様に感じます。

僕は亡くなった父方の祖父と面白い時代劇や武道、仏像、歴史などの話をするのが大好きでしたが、母や5~60代の親戚には話が通じず、僕が母に話しているのに偏向報道のニュースやワイドショーを「見ているからいっぺんに聞けない」というわりには「今のニュースはどういう内容だったか説明しなさい」と言うとアバウトなんてもんじゃない適当な回答が帰ってきたり昨日もニュースでリチャード・アーミテージが出てて「お!アーミテージだ!」と言うと「ええっ!何で名前知ってんの!」とありえない驚きをされて説教しました(笑)

来年の物欲

あまり欲しいものを公開するのは恥ずかしいですが公開します。

来年中に買えるかどうかわかりませんがw

TTSH Arp 2600 clone

KORG MS-20 mini

maschine studio

Juno-106を再び!

TR727

Moog Voyager XL

DSI Prophet 12

Elektron Analog Key

Elektron Analog Rythm

Teenage Engineering OP-1

Makenoise&Mutable Instrumentsを中心としたModular Synth

FilterBank2 x2

Buchla 200e

MOTUのThunderboltのAudio I/F

Softube Console 1

ThunderboltのUAD

Rode Mic NT5を数本

API 500, NEVE(Plug-Inではない本物!)

昨今の素晴らしいソフトシンセやAbleton Live&Max,Reaktorのおかげでこれでも以前よりかなり減りました。

技術はとても進みましたがハードシンセでしか出せない音もソフトシンセでしか出せない音もまだまだたくさんあると思います。

ハードもソフトもDIYで作れるものは作りたいと思います。

Arp2600 Cloneは今年は色々忙しかったので来年こそはと思っております。

僕はレビュアーではないのでこのリストにあるものは僕が死ぬまで使えてまだ結婚もしていなく子供もいませんが、将来この世を去る時が来たら従姉妹の子や甥っ子や姪っ子などに譲りたいと思います。

– 音楽以外(終電対策)

Indian Chief Classic

Harley Davidson (Custom Base用のshovel headかPan head )

Harley Davidson Forty Eight

Chevrolet Impala 1967(港北の知り合いの某ショップでエンジン&足回り置き換え)

以上、夢とやる事いっぱいの記事でしたw

これまで同様にもっともっと勉強や修行をし続けつつ、教えられる事やできる事を続けたいと思います。

そして来年も良い出会いがありますように!

2014年12月12日