2011年の3月11日のあの日から5年が経ちました。 地震発生維持は曲を作っていて部屋の中にいましたが、揺れが想像以上に酷くて「あ、楽器や機材に潰されて死ねるならまあしかたないや」と覚悟しました。 その日にKDDIのインタネーット回線の海底ケーブルが切断されTwitterとテレビで被害の状況が刻々とわかりました。 それまでの人生で9.11の映像が人生で見た映像が最も恐ろしいと思っていたのですが、津波で沢山の家や人が流れ、夜には行ったことがある気仙沼が火の海になっている映像を見て泣きました。 あれから1〜2週間は様々な悲惨な状況が流れ辛すぎてテレビを見ない方がいいとも思いましたが、被災地の方の事を考えるとテレビを見ないわけにはいきませんでした。
その後は余震が何度も起こり、藤沢でも計画停電が起きて夜は真っ暗でテレビも見れず精神的にキツく寝るしかありませんでした。裕福ではありませんがそれでも東日本大震災への募金を何度かしました。
2週間後に小さい頃から一番仲が良く何でも話せた従兄弟が亡くなりました。
小さい時から正月や夏休みに片瀬海岸で泳いだり、正月に京都で一番よく遊んでいて同い年の仲が良かった従兄弟でしたが、亡くなってしまいました。
でも震災と計画停電でとても葬式に行ける精神状態ではありませんでした。
そのすぐ後には父方の大好きなお爺ちゃんが老衰で他界しました。
爺ちゃんは老衰だから仕方がないけど僕はいまだに同い年の従兄弟が他界した事はいまだショックです。
でも東関東大震災で尊い家族を失った方や愛する我が家や町並みや代々受け継いだ田畑を無くした方々、未だに愛する我が家に帰れない方々はもっと辛い思いをされていると思います。
東関東大震災や親戚や家族が他界して憔悴しきった4月頃に母と鎌倉の雷亭に行った後で鎌倉の段葛を通り震災の少し前に樹齢800年以上と言われる鶴岡八幡宮のご神木・銀杏の木が倒壊してその切り株を見に行ったら小さい芽が数本生えているのを見てそのたくましさにとても感動しました。
5年前の御神木
5年後の御神木
先程見に行ったら5年経った今は3メートルぐらいに成長していて自然の力強さを感じるとともに、我々も人間という生き物であり自然の一部でもあるのでこのご神木の様に力強く生きるべきだと思わせてくれる銀杏の御神木だと思います。
震災の後から日本人の感情が不安や怒りでどんどんと暗くネガティブな方向に共振して行ったと僕は感じました。
僕は2011年の夏に被災地の家も家財も人命も無くした方々や日本人の心に光が差すように、After Light(本来の意味は夕日)という曲を作りました。 物書きでもジャーナリストでもない僕みたいな音楽を作る人間は楽曲や歌詞、音色に自分の言いたい事を魂を注入するように作るべきだと思います。
5年目を記念して業者にマスタリングしていただいたアルバム版とマスタリング前の状態のその曲をしばらくの間、再びフリーダウンロード可にしておきますので良かったら聴いてみてください。
まだ自分の愛した街に帰れない状態の方々に光(Light)が差す事を湘南から願っています。